ドクターニューフェイス

理事・顧問 遠藤 重厚

この4月より盛岡友愛病院に勤務致しております遠藤重厚です。
出身は宮城県です。
これまで30年余に渡り岩手医科大学に勤務致しました。
岩手医科大学におきましては、最初は整形外科学講座に入局しました。
ローテーションで当時の岩手県高次救命救急センターに勤務した時に外傷学に興味を持ち、岩手県高次救命救急センターに移籍致しまして約30年勤務致しました。私の自己紹介といっても特に代わり映えするものでもありませんので、自己紹介を兼ねて、救急医療について紹介させて頂きます。
我が国の消防隊において救急搬送業務が法制化されたのが昭和38年です。
現在のような、初期・二次・三次救急医療体制が確立したのが昭和52年です。
この背景には昭和40年代の交通外傷患者の急増に対して、救急告知医療機関だけでは対応困難が状況になり、これが結果的には「救急患者のたらい回し」として大きな社会問題まで発展しました。
このため当時の厚生省は初期・二次・三次という救急医療体制の層別化を実施した。このとき、三次救急医療を担う中核的施設として、人口100万人に1施設の割合で設置されたのが救命救急センターであり、現在全国に271カ所あります。
三次救急医療は、救命救急センターや高度救命救急センターが行うもので、生命の危機に直面した救急患者の診療に当たるとされている。特に高度救命救急センターは24時間体制で、広範囲熱傷、中毒、四肢の切断の再接着に対応できることが求められております。
岩手県においては、昭和55年11月に岩手医科大学に高次救急センターが開設者は岩手県、運営は岩手医科大学という全国に類をみない官民共同の形で設置されました。
我が国においては、年間2200〜2300万人程度が医療機関を救急受診しています。これは毎日約6万人余りで、また国民5〜6人に一人が年に一度、救急受診している事になります。 
「いつでも、どこでも、だれでも、良い医療を」といわれ、県民の医療に対するニーズは高まっています。
これは救急医療の現場にも当てはまることで、より質の高い救急医療を県民に提供するよう努力しなければなりません。
特に高齢化に伴う疾病構造の大きな変化、社会構造の大きな変化に如何に対応してゆくかも大きな問題となってきております。
救急医学は医学の原点であり、救急診療は医療の原点であると言われております。
救急医学教育は医師としてのあるべき姿が教育できる、総合的な医学教育ができる、各種の救急疾患に対応できる診療技術が教育できると言われております。
このような救急医療に携わって得たこれまでの経験を下に今後盛岡友愛病院の発展に微力ではありますがお役にたてればと思っております。



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