9年ぶりの焼石岳

山と自然を愛でる会報道部 北澤 俊一

平成16年は記念すべき年だった。
山の会が互助会に加入し名前も『山と自然を愛でる会』と命名された。
この年は東根山、焼石岳、秋田駒ヶ岳、岩手山、姫神山、三石山に登った。
山納めの会は盛り上がり、終わっても席を立つ人がいなかった。この感動的な雰囲気を創り出した最大の要因は焼石岳であった。

9年間登れなかった訳は早い、遠い、長いである。
3時起床、登山口まで100km、頂上まで4時間である。ただ人気は一番である。雪と水が豊富で、東北有数の花の名山である。さらに山中に入ると自然が身体と一体になる不思議を味わえる。

5年前登山計画があったが、前日に地震があり登山道が崩壊した。
今回の計画を聞いて楽しみだが不安がいっぱいだった。
私は右足関節に軟骨がほとんどなく、腫れと痛みがあり可動域の低下を伴っている。登れるかどうか、下山できるかどうか自信がなかった。足を痛めれば最後の山となる。焼石岳なら最後でもいいか。行くなら山頂に立ちたい。いつもの饒舌が影を潜め黙々と歩いた。今日は言葉が少ないねと妻が言うので、自然と対話しているのだと返した。

今回のメンバーは吉田夫妻、村上夫妻、八木先生、小原次長、坂本さん、小生と妻の9人であった。
病院集合4時45分、登山口到着6時30分、登山開始6時40分、中沼7時30分。
イワナが跳ねる湖に雪田を模様のように纏った焼石岳が影を映していた。
雪解け水が池塘を作り水芭蕉、リュウキンカなどが咲き誇っていた。
9時銀名水、湧水を飲むと身体が山の一部になった。
 
登山路の半分以上は雪渓で足が助けられた。
姥石平分岐点までは1時間20分。途中から雪がなく大きな石だらけの道だった。
3万7千円の登山靴と5千円の中敷きに助けられ、頂上が見える地点にたどり着いた。姥石分岐は広大な花園で、9年前はハクサンイチゲの大群落だった。
今年は咲き始めだったが代りに花期が2週間しかないユキワリコザクラに会えた。可憐な花で忘れられない。
頂上への道は急登であったが夢の実現のため頑張りぬいて、一等三角点に到達した。これほど愛おしい一等三角点は初めてだった。

昼は上機嫌で乾杯の音頭をとった。
正午下山、足に全体重のかかる艱難辛苦を豊富な雪が応援してくれた。
見る人が見れば不格好な歩みだったと思うが、転倒を回避するため全神経を集中した。2時間30分で登山口に戻った。素晴らしい体験だった。多彩な不幸(大腿骨頭打撲、肉離れ、ダブル五十肩、二回の喘息発作)に彩られた還暦を終えるにふさわしい経験だった。

クアハウスひめかゆで汗を流し帰路に着いた。
遠ざかる山を見ながら、「また登りたい、でも最後かな」と妻がつぶやいた。返事ができなかった。午後5時、まだ日の残る病院に帰りついた。家で飲むビールは格別であった。

11時、寝ようとしたところ、左足関節を支え続けた左前脛骨筋が突然痛み出した。
それも激烈に。湿布、アンメルツ、鎮痛剤は無効だった。
筋力低下は明らかである。筋力がなければ関節は支えられない。三浦雄一郎さんのように筋力を鍛えて、雪と花の山に登りたい。





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